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2006年3月21日 (火)

管制塔の苦い思い出

Img_3655_1  成田空港の管制塔です。

 奥が管制官がいる現在の管制塔。日本で一番高い管制塔ですが、羽田の新管制塔に抜かれるようです。手前が旧管制塔で、現在は「ランプタワー」と呼ばれ、成田国際空港会社(NAA)の運用管理部が駐機場(ランプ)の交通整理などをしています。

 有名な「管制塔占拠事件」の舞台となったのは旧管制塔の方です。過激派が占拠した管制室から逃げ出した管制官らが屋上で救助を待つ写真はインパクトがありました。

 開港を4日後に控えた1978年3月26日。過激派が一万人の警察官の警備をかいくぐり管制塔に侵入。管制室の機器を破壊して開港を二ヶ月遅らせました。激しい反対運動を展開したにも関わらず、開港という「敗北」を迎えようとしていた反対派にとって胸のすく快挙だったに違いありません。

 当然、この過激派らは逮捕され、懲役10~3年の実刑判決を受けました。さらに国や空港公団から破壊された機器の損害賠償を求められ、1995年の最高裁判決で約4400万円の支払いが確定しました。元過激派の16人は支払いに応じなかったのですが、昨年になってNAAは給与などの差し押さえに踏み切りました。額は利子が加わって1億円を超えていました。

 元過激派らは懲役を終えると活動から離れ、現在は会社員など普通の生活をしています。給与を差し押さえられると生活ができない。そこでカンパを募ったところ、数ヶ月で1億円が集まって完済することができました。

 1970年代、成田闘争に加わった学生らは、30年が経過した現在、ほとんどが50歳以上になり、会社でも大体がお偉いさんになっている。自分たちは当時を「若気の至り」などといい思い出にしていても、一方でそのツケを払わされる人がいる。そんな当時の仲間を放っておけないという気持ちがこの金額に現れたのでしょう。

 会社の管理職や、役員クラスにふと聞いてみると、「いやあ、実は俺も学生時代成田に行ったクチでさ」などと告白する人が結構いるもんですよ。

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