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2006年3月31日 (金)

成田のレアエアライン⑤

Dsc_7396  たまたま同じような塗装の飛行機が鉢合わせました。左がご存知KLMオランダ航空、右が今日の主役エア・タヒチ・ヌイのA340―300です。

 仏領ポリネシア・タヒチのパペーテと成田を週3便結んでいます。

 スカイブルーの機体と尾翼にあしらった純白の花「ティアレ・タヒチ」が南国を連想させてなんだか楽しくなります。

 エア・タヒチ・ヌイは1998年、仏領ポリネシア発の国際航空会社として始めて運行を開始した新しい会社です。2000年には関空にも就航しました。キャビンアテンダントがタヒチの民族衣装で迎えてくれて、搭乗ゲートからリゾート気分を味わえます。楽園タヒチ。一度は行ってみたいものですなあ…。

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2006年3月30日 (木)

成田ミステリーツアー②

Img_3667  滑走路脇にひっそりと建つその鉄の「箱」は、有刺鉄線が幾重にも巻かれ、まるで魔物を封じ込めている呪物の様である。

 そう、まさに成田空港反対闘争という「悪夢」を封印しているのである。箱の中身は「反対同盟天神峰現地闘争本部」。かつて血気盛んな若者たちが集った木造二階建ての古い家屋がひっそりと眠っているはずである。

 1966年、三里塚に新空港を建設することが閣議決定され、直後住民らは反対同盟を結成。同盟員から持ち家を借り受け、事務局や支援の学生らの宿舎に使用した。ここを拠点に国家権力と文字通りの戦争を繰り広げられたのだ。

 1978年の管制塔占拠事件をきっかけに、国は空港に反対する過激派の破壊活動を防止する目的で「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」(成田新法)を公布、施行した。運輸(国土交通省)大臣が「暴力主義的破壊活動者」の集合の用に使用される恐れがあると認めたときは、使用禁止命令、封鎖、除去できる。現地闘争本部には1989年に使用禁止命令が出され、封印された。緊急措置法の期限は一年間なので、毎年9月になると延長される。

Img_3663

 この建物があるために、B滑走路の誘導路は「への字」に湾曲している。NAAは既に元の地主から土地を取得したが、建物の所有権は反対同盟にあるため、土地の明け渡しを求め提訴、千葉地裁で係争中である。

 あたりは白いフェンスで囲まれ、すぐ横をジェット機が轟音をたて悠々と滑走路に向かってゆく。有刺鉄線に引っかかった黒いビニールが風に煽られカサカサと音をたてている物悲しい状景が、反対運動の斜陽と見事に重なって見える。

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2006年3月28日 (火)

成田のレアエアライン④

Dsc_7394  オーストリア航空の特別塗装機「ウィーン金貨ジェット」です。モーツァルト生誕250周年を記念し、A340―300にウィーンフィルハーモニー管弦楽団の名前や楽器、世界的に有名なウィーン金貨が描かれています。一見するとごちゃごちゃしてよく分かりませんが。

 就航は成田―ウィーンを週6便。東欧にノンストップで行けるのはうれしいですね。

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2006年3月27日 (月)

春の風物詩

Img_3694  「反対派集会のため警備を強化しています。ご不便をおかけしますがご理解をお願いします」。数日前からこんなアナウンスと張り紙とともに、空港内のゴミ箱は封印され、見学や見送りの人たちは検問で追い返されました。その反対派集会がコレです。

 B滑走路近くの農地に地元の反対同盟とその支援者ら400人が集まり、「成田空港粉砕」を訴えました。その脇ではサングラス、帽子、マスク姿の公安担当の警察官30人ほどがビデオやカメラで逐一反対派の動向をチェックしています。集会の後行われたデモ行進では千葉県警が誇る機動隊が登場、デモ隊にピッタリ寄り添って監視していました。

 たかだか400人の集会にこの警備は過剰なのではと思うが、一昔前まで数千人が集まり、機動隊と激しくぶつかり合い逮捕者も出ました。集会の前には決まって空港内で時限爆弾が仕掛けられるなどゲリラが発生していた。ここ数年は集会もデモも大人しいものですが、これまでの経緯からして警備はせざるを得ないのでしょう。

 現在の空港の状況からみると、この人たちの主張は時代錯誤です。「空港廃港」も世迷言です。ただ、反対同盟の人たちは同じことを40年訴え続けている。世の中と空港の中が変わっただけで、彼らはまったく変わっていない。その点には敬意を抱きます。

 主張していることは確かに筋が通っているし、空港建設時において反対同盟が結成されたのも必然だと思う。でも、やっぱり現実とはそぐわないんだよなあ。

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2006年3月26日 (日)

真っ白ジャンボ

Dsc_7371  白装束をまとったようなこのジャンボ。売却するために塗装が落とされたのです。これからバイヤーのいるアメリカまで飛んでいくのでしょう。

 客席の窓がないのでフレーター(貨物機)かも知れません。元の持ち主はJALか、NCAか。バイヤーとの契約で、塗装を落とした状態で受け渡すことになっているため、こんな真っ白の飛行機がたまに現れます。

 ダウンサイジング化が進んでいる昨今、在来ジャンボはどんどん売りに出されるでしょう。行く末は中南米やアフリカ。まだまだ働きます。

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2006年3月24日 (金)

成田のレアエアライン③

Dsc_7382 エア・インディアです。機材はB747―300。古いジャンボですね。

 成田には週4便来てます。バンコク経由デリーとデリー経由ムンバイを結んでいます。

 エア・インディアと言えば、昨年12月19日、ロサンゼルス空港を離陸した直後にタイヤがバースト、同空港に引き返し、火花を上げながら着陸するトラブルが記憶に新しい。CNNがバッチリ映像をおさえていて、夜中だったのでその火花の勢いにゾッとしたのを覚えています。幸いけが人はいませんでしたが。

 成田でエア・インディアを見かけるたびにちょっと不安になる。だって見るからに機体がくすんでくたびれている…。

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2006年3月23日 (木)

本当の「プロ」

2006032204337506jijpspothum001small  ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で初代世界一となった日本代表が凱旋帰国しました=写真(時事)=。

 第2ターミナルの到着ロビーAは一千人の人であふれかえっていました。この一千人というのはNAAの発表。空港だから人は流動的だし、実際の数を数えるのは困難。だからこの数字も職員が見渡してみて「大体こんなところでしょう」とはじき出した数字と思われます。それもわざわざ日本代表を見に空港に来た人はごく一部で、実際は報道陣がやたら陣取っているので「なんだなんだ」と足を止めた旅客がほとんど。でもこれだけの人が集まるのは久々ですね。

 しかし、これだけの人が祝福しているのに、王監督も含め選手たちはもうちょっと笑顔を見せてもいいのでは?疲れているのか、人数の多さにひいているのか、こういう場面のスポーツ選手というのは大体が無愛想。野球選手も、サッカー選手も、フィギアの選手も、宮里藍も、「あんたら、ファンがいてこそメシが食えてるんだろ?ちょっとくらい愛想振りまけ!」とか思ったりします。

 ちなみに「出来たスポーツ選手」の筆頭は田村亮子。ちゃんとファンの前で立ち止まって手を振ったりお辞儀したりする。マラソンの高橋尚子やスケートの岡崎朋美も評判がいい。ほかのスポーツ選手も彼女らの「プロ精神」を見習ってほしいですね。

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2006年3月21日 (火)

成田のレアエアライン②

Img_3659  英・ヴァージン・アトランティック航空です。成田―ロンドンを一日一往復しています。

 機材はエアバス340―600で、全長75,3㍍。現在就航している中で一番胴体が長い飛行機です。同じ四発でも747のゴツゴツとした無骨な感じと違い、スラッとしてヨーロッパのセンスを感じさせます。

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管制塔の苦い思い出

Img_3655_1  成田空港の管制塔です。

 奥が管制官がいる現在の管制塔。日本で一番高い管制塔ですが、羽田の新管制塔に抜かれるようです。手前が旧管制塔で、現在は「ランプタワー」と呼ばれ、成田国際空港会社(NAA)の運用管理部が駐機場(ランプ)の交通整理などをしています。

 有名な「管制塔占拠事件」の舞台となったのは旧管制塔の方です。過激派が占拠した管制室から逃げ出した管制官らが屋上で救助を待つ写真はインパクトがありました。

 開港を4日後に控えた1978年3月26日。過激派が一万人の警察官の警備をかいくぐり管制塔に侵入。管制室の機器を破壊して開港を二ヶ月遅らせました。激しい反対運動を展開したにも関わらず、開港という「敗北」を迎えようとしていた反対派にとって胸のすく快挙だったに違いありません。

 当然、この過激派らは逮捕され、懲役10~3年の実刑判決を受けました。さらに国や空港公団から破壊された機器の損害賠償を求められ、1995年の最高裁判決で約4400万円の支払いが確定しました。元過激派の16人は支払いに応じなかったのですが、昨年になってNAAは給与などの差し押さえに踏み切りました。額は利子が加わって1億円を超えていました。

 元過激派らは懲役を終えると活動から離れ、現在は会社員など普通の生活をしています。給与を差し押さえられると生活ができない。そこでカンパを募ったところ、数ヶ月で1億円が集まって完済することができました。

 1970年代、成田闘争に加わった学生らは、30年が経過した現在、ほとんどが50歳以上になり、会社でも大体がお偉いさんになっている。自分たちは当時を「若気の至り」などといい思い出にしていても、一方でそのツケを払わされる人がいる。そんな当時の仲間を放っておけないという気持ちがこの金額に現れたのでしょう。

 会社の管理職や、役員クラスにふと聞いてみると、「いやあ、実は俺も学生時代成田に行ったクチでさ」などと告白する人が結構いるもんですよ。

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2006年3月20日 (月)

成田のレアエアライン①

Dsc_7378  白と青のコントラストが印象的なエジプト航空です。

 カイロ―成田をノンストップで結ぶ、アフリカ大陸から唯一日本に乗り入れているエアラインです。週3便のみなので、目にする機会は少ないかも。

 尾翼には古代エジプトで信仰された「ホルス神」があしらわれています。ホルス神はハヤブサをモチーフにした神さまで、天空を司るそうです。アラビア文字が機体に書かれていたりして、エキゾチックな雰囲気が私は大好きです。

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2006年3月19日 (日)

一番落ちない航空会社は…

Img_3677  少し前の号ですが、ニューズウィーク日本版2月8日号に気になる特集が載っていました。その名も「危ない航空会社ランキング」。

 順位の決定方法は、IATA(国際航空運送協会)に加盟している284社を対象に、①所有する機体の平均年齢②機種編成(新しい機種が多いほど評価が高い)③利用する空港の管制設備④運行体制⑤安全管理⑥官民比率⑦提携度(アライアンスに加盟していると安全監査が行われるためプラス)⑦10万便あたりの事故件数―などをもとに100点満点で評価。純粋に「どれだけ落ちる可能性が少ないか」を比較している。

 気になる順位は…①ルフトハンザ航空②ブリティッシュ・ミットランド航空③ブリティッシュ・エアウェイズ④エアカナダ⑤KLMオランダ航空⑥コンチネンタル航空⑦カンタス航空⑧ルフトハンザ・シティライン⑨フィンランド航空⑩デルタ航空。

 ANAは89点で12位。惜しくもベスト10入りはしなかったが立派なものでしょう。

 そしてわれらがフラッグキャリアJALは…JALジャパンが80.7点で60位、JALインターナショナルが80.4点で62位。大きく水をあけられていますね。ANAに比べて若干機体年齢が高いのと、アライアンス未加盟が原因のよう。

 航空コンサルタントがこのランキングを分析して、こう解説しています。「全体からすれば、10点くらいの差は誤差の範囲内と言える。世界の多くの地域では飛行機の安全性に特に問題はない」。つまり、JALが60位だからといって落ちる可能性が高いというわけではない。機体のトラブル発生率に差は出てくるだろうが、JAL、ANAほどの航空会社になれば、乗客が事故に巻き込まれる可能性は極めて少ないということです。JALのフォローをするようですが。

 しかし、このコンサルタントはこうも指摘している。「このランキングで60点未満の会社は、高得点の会社が利用できないときにだけ選ぶようにしたい」。そこで60点未満の会社を見てみると、284社中174位以下ということになる。ほとんどが聞いたこともない航空会社ばかりだが、成田に就航している会社をざっと抜き出してみると…アエロフロート、エジプト航空、エア・タヒチ・ヌイ、ベトナム航空、エアージャパン(!)、ガルーダ・インドネシア航空、イラン航空、ウズベキスタン航空、ミアット・モンゴル航空…って結構いっぱいあるじゃん!

 ミアット・モンゴル航空に至っては、21.5点でワースト4位。おいおい大丈夫か?

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2006年3月18日 (土)

風の強い日

Dsc_0009  昨夜から成田は風が強く、家の窓ガラスが昼過ぎまでガタガタときしみ続けました。着陸できずに他の空港にダイバートする便が多いのではないかと心配しましたが、幸い横風ではなかったらしく、運行に影響はなかったようです。

 風が強い分大気が澄み渡り、午前中は富士山、筑波山はもちろん、日光、秩父の山並みまで空港から見ることが出来ました。

 飛行機にとって風は味方でもあり、大敵でもあります。向かい風だと揚力が増し、楽に離陸できる。横風だと機体が左右に揺れるため、規定以上の横風が吹いている場合、着地寸前に着陸をあきらめて再び上昇する「ゴーアラウンド」をしなければいけません。春先の強風時や台風の時にはよく見られます。空港でみていると、ちょうど目の前で飛行機が通り過ぎ、急上昇していく。なかなかの迫力です。乗っているお客さんはヒヤヒヤしているでしょうが。

 成田空港の滑走路は北北西(南南東)方向に設置されています。成田地方の一年の風向きを分析した結果、この方向が飛行機を飛ばすのに一番効率が良いからです。前述したとおり、飛行機は向かい風のとき揚力が増す。北風のときは北北西方面、南風のときは南南東方面に向かって飛び立ちます。発着方向は季節によって違うし、風向きが変われば一日で何回も変わるときもあります。

 とは言っても、一年のうちには南北方向以外の風も吹く時がある。そういった場合に大きな空港では「横風滑走路」を持っている場合があります。羽田空港には南北方向の滑走路二本に加え、東西方向の滑走路があります。

 成田にも「幻の」横風滑走路があった。上空から見れば確かに滑走路の痕跡が分かります。用地買収が遅々として進まず、穴ぼこだらけで途中までしか作れなかった。現在では反対派住民との話し合いで建設計画自体がが凍結され、単に誘導路として使用している。

 開港してから30年近く、横風滑走路なしで事故もなくやってこれたのだから、なくてもいいような気もする。だけど風の強い日、横風にあおられながら左右にふらふらと揺れて飛び立っていく飛行機を見ると、どうしても最悪の事態が頭をよぎってしまう。

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2006年3月16日 (木)

スカンク767

Img_1843  外敵を攻撃するスカンクのようにも見えますが、スポットアウトして滑走路に向かおうとしたところ、尾翼下の排気孔から白煙を吐き出すANA機です。「すわ爆発か」と大げさにとらえてしまうところですが、スポットに戻り小一時間整備し直して何事もなかったように出発して行きました。

 飛行機のおしりの部分にはAPUと言われる補助動力装置が搭載されています。小型のタービンエンジンです。主エンジンの始動に必要な高圧空気を供給したり、駐機中の機内電力を作り出したりするものです。

 主エンジンの始動後、APUの運転を落とすと、まれに排気孔から白煙がでるそうです。整備関係者曰く「運行には問題ない」。でも乗客の立場からすれば、自分の乗った飛行機がこんなに白煙を吐き出せば不安になりますよね。

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2006年3月15日 (水)

もうすぐ引っ越し

Img_3653  ANA成田空港支店の新社屋です。

 6月に第1ターミナル南ウイングが完成すると、ANAが第2ターミナルから移転し、ユナイテッド、ルフトハンザ、エアカナダなどスターアライアンス加盟社が南ウイングに集約されます。通常業務に加え、引越し作業や新システムへの対応、社員研修などでこれからANAは大忙しでしょう。

 移転費用はおよそ1億円といわれ(新社屋はNAAが建設)、コストは馬鹿にならない。しかし、ANAにとってはそれ以上のメリットがあるはず。

 国際線後発のANAは、第2ターミナルでJALの陰で肩身の狭い思いをしていました。カウンターは端に追いやられ、スポットも思うように使えない。「日本のフラッグキャリアはJAL」というイメージはどうしてもぬぐえなかった。

 それが、6月からはスターアライアンスの日本ホストとして南ウイングや第5サテライトを丸々自由に出来るわけです。それもチェックイン後に爆発物検査をする「インラインスクリーニング」など最新鋭機器が導入され、日本最大の免税店街ができるなどどうしても既存の施設とは差がついてしまいます。

 ANAは南ウイングオープンに合わせ、「ANA、新ターミナルでスタート」というフレーズを掲げて宣伝攻勢をかけるでしょう。折りしも航空トラブルや社内の内紛劇でイメージががた落ちしているJALと、はっきりくっきりと明暗が分れてしまう訳です。JALの歯軋りが聞こえてきそうです。

 空港会社(NAA)は南ウイングオープンを大々的にアピールする計画みたいですが、南ウイング=ANAというイメージを前面に出すことを控えている様子。JALやノースウエストに気を使って。

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2006年3月14日 (火)

成田ミステリーツアー①

Img_3648  小さな社と真新しい石造りの鳥居。周りは雑草が刈り込まれ、住民によってよく手入れされていることがわかる。田舎にはどこにでもある、集落の小さな鎮守の神社だ。有刺鉄線付きのフェンスに囲まれ、カメラと警備員に24時間監視され、真上をジェット機が轟音をたててかすめていくことを除けば。

 B滑走路予定地のほぼ真ん中に位置する東峰地区の「東峰神社」。写真の右側数10㍍の位置に滑走路があり、北風運用(34R)の際には写真のように着陸機がすぐ真上を通っていく。元々は神社の周りに立ち木が茂っていたが、航空機の進入に支障が出るということで、02年の供用開始前に空港公団が住民に無断で伐採。激怒した住民らと公団職員を守る機動隊がにらみ合う一触即発の事態になった。訴訟の末、公団がすでに取得していた神社の土地を住民に譲る形で和解した。

 東峰地区の住民は未だ空港反対の姿勢を崩しておらず、この土地に滑走路が出来るのはまだまだ先のようだ。あるいは永遠に出来ないのかもしれない。空港の中に盲腸のように残された神社は、静かにその存在感を示し続けている。

 激しい空港反対運動の傷跡は、いまだ空港のあちこちに点在している。一日8万5千人の旅行客が利用するターミナルの開放的な雰囲気からはおおよそ想像できないものばかりだ。「成田のもうひとつの顔」を追々紹介していきたいと思います。

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2006年3月13日 (月)

談合って何?

 3月8日、東京地裁で成田国際空港会社(旧新東京国際空港公団)の元幹部二人に競売入札妨害罪(談合)で有罪判決が出ました。成田空港の電機設備工事で「官製談合」を主導した罪です。

 そもそも「談合」って何でしょう?

 民間でも役所でも、何か高額なものを買ったり工事したりする際、入札が行われます。受注したい業者は「ウチはこの金額で出来る」と金額が書かれた札(紙)を入れ、一番安い業者が請け負う仕組みです。競わせてなるべく安い費用で済ますことが入札の目的です。ビルを建てたり、道路を作ったり、ダムを作るなど金額が大きくなればなるほど入札の果たす役割は大きいです。

 しかし、工事などを受注する業者の立場から言えば、競争が激しくなればなるほど利益は少なくなります。そこで、入札に参加する業者で密かに話し合って受注企業を予め決めてしまうのが「談合」です。発注する側は「予定価格」と呼ばれる上限の額を決めています。入札の際にこの予定価格を超えると失格になります。談合をする業者は、なるべく高い利益をあげるために談合をするわけですから、この予定価格ぎりぎりで落札します。発注側が「この工事は100万円以下でできるな」と予定価格100万円の入札を行うとすると、公正な入札なら参加業者はなんとか安く工事が出来ないかと知恵を出して競争し、大体70万円くらいになります。しかし談合が行われると、90万とか99万の札を入れた業者が落札してしまいます。みんなグルですから、他の業者はわざとその業者より高い金額で札を入れるわけです。

 ただ、この「予定価格」というのは大抵の入札において最高機密のものです。ではなぜ談合業者たちが予定価格ぎりぎりで落札できるかというと、発注側も協力しているからです。業者側にこっそりと予定価格を漏らすのです。発注者が役所の場合、これが「官製談合」と言われるものです。

 専門家に言わせると、公正な入札の場合、落札額は予定価格の70~85%になるといいます。これが90%を超えると談合の可能性が高い。成田空港の事件の舞台となった電機設備工事ではほとんどの工事が90%以上でした。成田空港ほど大きな施設になると、工事の額も億単位です。成田空港は税金で作られた空港です。談合が行われたことにより、いったい何十、何百億円が無駄になったのでしょう?

 空港会社元幹部二人は、官製談合を行った動機に「天下り」を挙げています。業者を儲けさせることで、退職した後に雇ってもらおうという訳です。そんな理由で血税が業者の懐に入っていった。

 3月8日の判決の中で、裁判官は重要なことに言及しています。「受注企業の割り振りや予定価格の漏洩は業務の一種として行われ、公団内部で反復継続的に行われていた」。つまり、「今回この二人を有罪としましたけど、官製談合は公団の『仕事』としてずっと行われていた」と裁判所が認定した訳です。競売入札妨害罪の時効は5年ですので、この幹部二人より前の人たちは罰せられない。空港会社の内部からは「二人は運が悪かった」という声が聞こえてきます。

 この元幹部二人はいずれも定年まであと数年だったのですが、懲戒解雇され退職金ももらえず、メディアには犯罪者として扱われ、顔写真も報じられました。聞くと、二人とも人望が厚く、会社内部の評価は高かったそうです。どこにでもいる普通のサラリーマンだったのです。先輩から「業務」として引き継いだ官製談合の慣習を会社人間として忠実にこなしていたら、たまたまバレてしまったというのが真相でしょう。

 やったことは言い訳は出来ないれっきとした違法行為ですが、ちょっと同情してしまいます。散々うまい汁をすった人間は逃げのびてのうのうとしてるのに。

 しかし、官製談合があったのは「電機設備工事」だけなのですかね?

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2006年3月12日 (日)

変な滑走路

Img_3646  成田空港の鳥瞰写真です。

 成田には二本滑走路があり、メインのA滑走路(4000㍍)が写真下部、B滑走路(2180㍍)が写真上部です。

 B滑走路をよく見てもらうと、中心のターミナルから随分離れたところに滑走路があることに気づきましたでしょうか?中央の白く見える部分がターミナルや駐機場がある場所ですが、その上にポコッと三角の部分があり、その左から滑走路が伸びています。この「三角の部分」には、実は民家や農地があり農家一家が現在も住んでいます。他に6戸が土地を所有しています。この土地があるため、国や空港公団(当時、現成田国際空港会社)は滑走路をずらして作らざるを得なかったのです。B滑走路の正式名称は「B暫定滑走路」。長さが2180㍍と中途半端なのは「とりあえずの滑走路」だからです。

 この農家はなぜこんなところに住んでいるのか。成田空港の歴史を知らない人にはかなり不思議な状況ですが、簡単に言うと「空港の中に住んでいる」のではなく、「家の周りに空港を作られた」のです。成田空港の歴史を一から説明すると本が一冊出来てしまうので端折ってしまいますが、成田は未曾有の反対運動を押し切って作られた空港で、数年前まで空港用地内に、この農家だけでなくもっとたくさんの民家や農地がありました。そのため1978年の開港から長い間、B滑走路を建設できず、滑走路一本のみで運用してきました。

 空港公団の用地部は硬軟織り交ぜての交渉で、反対派を説得して土地を取得してきましたが、この「三角の部分」(正式には東峰地区)に土地を持つ反対派だけはなかなか説得できない。国は「日本の玄関口がいつまでもこれではいかん」と痺れを切らし、この部分を避けて、滑走路をずらして作るという奇策に出たのでした。念願の二本目の滑走路ができたのは日韓共催サッカーW杯が開催される2002年でした。

 この反対派の人たちに対しては「国益を害している」「日本の恥だ」と批判も多いです。確かに、この未買収地があるために税金は余分にかかり、滑走路の使い勝手も悪い。安全上の問題もある。しかし、反対するのは反対するだけの理由があるようです。

 滑走路の端に住み続けるということは、並大抵のことではありません。頭上40㍍をジェット機がかすめていく。轟音もさることながら、その恐怖心は想像以上です。それでもなお反対を貫いている人たちに、無責任な第三者が軽率に批評をすることはどうかなと思います。

 この問題は非常に奥が深いので今後も扱ってみたいと思ってます。

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三里塚の空は赤く染まり…

Img_3628  05年11月ごろに第1ターミナルから撮影した写真です。冬、空気が澄んだ日には夕焼けに富士山が浮かびます。成田空港の良い点は、空が広いところ。空港の周りは林と畑しかないので当たり前ですが、夕焼け空に飛び立つジェット機がシルエットで浮かぶ姿は心を打つものがあります。

 空港を訪れた際の楽しみの一つは、展望台から飛行機を見ることだと思います。成田空港には第1、第2ターミナルそれぞれに展望台がありますが、滑走路を臨めるのは第1のほうです。大型機がひっきりなしに離発着するA滑走路を一望にできるので、マニアの人以外でも十分に楽しめます。一方、第2ターミナルの方はというと、B滑走路までの距離が遠いため、見えるのは駐機場の飛行機のみ。たまにB滑走路を離発着する飛行機が遠くに見えるだけ。「せっかく空港に来たのに…」とがっかりした経験がある人もいるのでは。第2ターミナルしか利用したことがない人も多いと思いますが、一度時間を作って第1ターミナルの展望台に行ってみることをお勧めします。

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