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2006年5月31日 (水)

スリムなブリティッシュレディ

_013  ヴァージン・アトランティック航空は保有する29機すべてにニックネームをつけています。このA340―600は「VARGA GIRL」。2005年生まれです。

 写真はプッシュバックが終わり、タキシングを始めようとするところです。グランドスタッフが見送りに手を振っていますが、コクピット下にペイントされた「フライングガール」に別れを告げているようにも見えますね。

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2006年5月29日 (月)

スターアライアンス塗装

_014  スターアライアンス塗装のシンガポール航空747―400を初めて見かけました。前から来ていたのでしょうか?尾翼だけオリジナルのままですね。作業途中なのか。

 いよいよ今週末から南ウイングがオープンします。2日朝のオープニングセレモニーのために、各社が所有するスターアライアンス塗装機が4,5機一ヶ所に集められるそうです。ふだん稀にしか見かけない分、壮観な眺めでしょうね。ルフトハンザの塗装機も来るのでしょうか?まだ成田で見たことがないので楽しみです。

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2006年5月22日 (月)

成田ミステリーツアー④

Dsc_0023  第1ターミナルの第4サテライト、あるいは来月オープンする第5サテライトから南側を眺めると、誘導路の真ん中に一軒の家が建っているのが見える。その家の両脇数メートルを大型旅客機が悠々とタキシングしていく。何も知らない外国の乗客は空港の中に家が建っていると勘違いしてさぞびっくりしていることだろう。

 建物の正体は「木の根ペンション」。かつて空港用地の南部分には「木の根」という部落があり、開港後も空港反対派が土地を売らずに住んでいた。しかし、国・公団が強制収用を放棄し、反対同盟と公の場で話し合いを進めた90年代の「シンポ・円卓会議」を境に住民は移転し、木の根部落は消滅した。ただ、強硬派が一坪共有地として所有するこの建物だけが取り残され、現在に至っている。

 当然、空港内からこの建物には入ることは出来ない。空港外周道路に警備員が24時間監視する入り口があり、急な坂を上るとこの一軒家と「木の根プール」と呼ばれる貯水池がある。住民はおらず、反対派が外部から来た支援者の宿泊施設や研修所として使っているようだ。

 この建物は誘導路と誘導路の間の緩衝地帯に位置し、運用上の支障にはならないため、空港会社は建物の所有者に対し、積極的な働きかけをしていないようだ。今後この建物がどうなるかは分からないが、世界中どこを探しても成田以外にない「空港の中の一軒家」は、しばらくは存続しそうだ。

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2006年5月20日 (土)

間違い探し

Dsc_0012_1  午前中の第1ターミナルの一風景です。何気ない光景ですが、おかしな所がひとつだけあります。少し成田空港のことを知っている人なら「?」と気づくかも知れません。

 答えは(たいしたことではありませんが…)、第1ターミナルの駐機場(スポット)にANAの飛行機が止まっていることです。

 ご存知のとおり、ANAは第2ターミナルを使用しています。ただ、第2は慢性的なスポット不足で、ANAといえども停めるところに困っている。一方、第1のほうは午後の出発便が多いので、午前中はガラガラ。特に30番代、40番代を使っているユナイテッド航空はほとんどが午後便。この不均衡を是正する苦肉の策として、午前中はANAが第1のスポットを使っているのです。

 ANAのお客さんは第2からしか入れませんから、飛行機へはバスで乗り込むことになります。その便の使用滑走路が目の前のA滑走路だったら近くていいのですが、ANAはB滑走路使用便が多い。実際、私が昨年ANAの広州便に乗ったとき、まさにこのコースでした。第2からバスに乗って第1へ。第1から反対側のB滑走路に15分くらいかけてタキシング、というちぐはぐさでした。このときはさすがに成田はなんて不便な空港だろうと実感呆れました。

 南ウイングオープンにともなう航空会社の再編は、この第1、第2ターミナル間のスポット、旅客数の不均衡解消が目的です。ANAを中心とするスターアライアンスが第1に移ってくれば、こんな訳の分からない運用の仕方はなくなるでしょう。6月からはいつもガラガラの午前中の第1ターミナルに活気が出てきます。

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2006年5月18日 (木)

成田のレアエアライン⑪

Dsc_7424  スリランカ航空のA340―300です。スリランカの首都コロンボとモルディブのマーレを結んでいます。

 スリランカといえば、2004年12月にスマトラ沖地震で津波の大被害を受けました。島国のマーレは多くのコテージが水没したそうです。

 スリランカ航空の売りはリゾート地モルディブに直行でいけること。書き入れ時の年末に大災害に見舞われ、年末年始の出国ラッシュで混み合うほかの便をよそに、スリランカ航空便はガラガラだったそうです。

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2006年5月16日 (火)

お粗末…

 中国・青島空港で4月、成田行きの日航機が搭乗者名簿の記載と別の人を乗せていたことが15日、分かった。搭乗ゲートで行うパスポートのチェックを怠り、乗客同士が搭乗券を交換したのに気付かなかった。
 航空各社はテロや国際犯罪防止のため、搭乗手続き時の本人確認に加え、日本行きの全便でパスポートと搭乗券を照合する決まりになっており、国土交通省は日航に再発防止を指示した。
 日航によると、4月16日、同社784便に搭乗予定だった日本人女性と、ほぼ同時刻に青島空港を出発する成田行きの全日空便に乗る予定だった日本人男性が搭乗手続き後、搭乗券を交換して入れ替わった。
 全日空は搭乗ゲートでパスポートと搭乗券を照合し、別人と判明したため搭乗を拒否したが、日航は気付かないまま出発。全日空側の情報で、機内で男性から事情を聴いた上で搭乗者名簿を訂正した。(4月15日共同通信)

 搭乗券を交換した当人たちにとっては、「同じ時間で同じ目的地だし、いいでしょ」と軽い気持ちだったと思います。でも、実は航空会社にとって大変なことなのです。

 チェックインの後、機内に荷物を預けた人が乗らない、あるいは本人以外が飛行機に乗り込むという状況は、中身が爆発物ということが考えられます。だから、航空会社はチェックイン後、搭乗ゲートに乗るべき人が現れなかったりすると、その人の荷物を探して降ろさないと出発できません。今回の件でも、入れ替わりに気づいたANAは、本来乗るはずだった男性の荷物を探して降ろす作業のため一時間も出発が遅れたそうです。今年1月の大雪の際に大幅な遅れが出た際、チェックインしたにも関わらず、あまりの遅れに諦めて無断で帰ってしまうお客が大勢出ました。除雪作業が終わっていざ出発、という時になってゲートに来ないお客がいることに気づき、その帰ったお客の荷物が搭載されていないか確認する作業でさらに遅れるという悪循環になりました。

 飛行機はいくつもの安全条件が整っていないと飛べない非常にデリケートな乗り物です。乗る側も他のお客さんに迷惑をかけないために、軽率な行動は慎むべきです。

 それにしても、お客が入れ替わったことにANAはパスポートのチェックで気づき、JALは見逃して叩かれる、両社の安全運行に対する意識の違いを象徴するようですね。

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2006年5月14日 (日)

空白の14年

Images  麻薬を密輸しようとしたとしてオーストラリアで禁固20年の実刑判決を受け、無実を訴え続けながら服役していた日本人の元受刑者(47)=北海道出身=が仮釈放され、12日夜、約14年ぶりに帰国した。
 この事件で元受刑者ら5人が逮捕され、「麻薬の運び屋に仕立てられた」などと無罪を主張したが、認められなかった。支援弁護団は取り調べや裁判での誤訳が原因の冤罪(えんざい)としている。
 5人は、1992年6月、日本人男女7人の観光旅行で成田空港からクアラルンプール経由でメルボルンに到着。スーツケースにヘロイン計13キロを所持していたとして逮捕された。元受刑者は主犯格とされた。(5月12日共同通信)

 写真はイメージ、成田税関支署が押収したヘロイン。

 この男性らの主張は「経由地のクアラルンプールでスーツケースが盗まれ、現地のガイドが用意したスーツケースにヘロインが隠されていた」というもの。さらに豪州当局の取り調べに立ち会った現地の日本語通訳の誤訳で、供述と正反対の調書をとられ、有罪になったとしています。

 この「メルボルン事件」は海外旅行者に大きな衝撃を与えた事件です。本当に冤罪だとしたら、これほど恐ろしいことはありません。異国の刑務所で過ごした彼らの10数年を思うとやりきれません。これがもし中国だったら、無実を訴えながら死刑になる可能性もあります。

 この事件から我々が学ぶことは、「海外で渡された荷物には注意すること」。実際、「日本の知人に渡して欲しい」と頼まれ、善意で日本まで運んであげたら中身は麻薬だった、というケースは多く、税関が注意を呼びかけています。たとえ麻薬とは知らずに運んでも、麻薬密輸の罪に問われてしまいます。

 日本人はとかく性善説で人を見ますが、海外では「人を見たら泥棒と思え」くらいの意識が必要です。

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2006年5月12日 (金)

過去最高の人出

2006050600000111kyodosocithum000_1  東京入管成田空港支局は10日、ゴールデンウイーク期間(4月28日-5月7日)に成田空港から出入国した旅客数を約73万3900人と発表した。
 調査対象期間が毎年異なるため単純に比較出来ないが、昨年の連休(4月29日-5月8日)と比べ3・5%増で、過去最高とみられる。同支局は「祝日の配列が良かったことが要因」と分析している。
 日本人の出国者数は約26万5900人で、昨年同時期比で6・1%増。日本を訪れた外国人も同6・4%増えて約9万800人だった。 (共同通信、写真も)

 成田空港のゴールデンウイークの人出は、SARSやイラク戦争の影響が大きかった2003年を除き、毎年記録を更新しています。航空会社も好成績を上げたようで、特にANAは中国線を中心に過去最高の約12万5千人が利用したそうです。驚くのが、帰国ピークとなった5月7日の帰国便の利用率が96%を記録したことです。飛ばした便がほぼ全便満席という笑いが止まらない成績です。

 旅行需要が伸びたこともあるでしょうが、明らかにJALから客が流れてきているのでしょう。

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2006年5月10日 (水)

検問突破

20060509at1g0902j090520061f  9日午後1時20分ごろ、千葉県成田市の成田空港の一般車両入り口「第2ゲート」検問所で、軽乗用車が車止めのプラスチック製バーを突破して逃走した。滑走路や駐機場に侵入した形跡はなく、航空機の運航への影響やけが人はなかった。
 約1時間後、川崎市内の首都高速で、ナンバーの一部や色、特徴が一致する車が乗り捨てられているのが見つかり、成田国際空港署は器物損壊容疑で、近くの高速道上を歩いていた自称、茨城県鹿嶋市中、無職森隆一容疑者(51)を逮捕した。
 調べに対し、森容疑者は「成田空港を見ていて、捕まりたくなった」と供述。同署はさらに動機を追及している。(共同通信、写真は日経新聞)

 成田空港では、検問突破はそれほど珍しい出来事ではないです。今年の正月にも初日の出目的で明け方に来た20代の男が検問を突破し、捕まりました。今回、これほど大騒ぎになったのは、昨年11月に検問突破した男が佐倉市まで逃走し、追跡していた警察官を刺殺した事件があったからです。さらに先日、神戸空港でランプまで侵入される事件があり、報道が若干過熱した感があります。

 これまでの検問突破事案を見てみると、テロや政治的背景があるわけではない。単に頭に遠いところから電波が来ているような人たちがやらかしているということが救いですか。今回の事件もこれまでの供述をみると電波系くさい。でも逆にいうと、テロ、ゲリラをやろうと思ったら結構空港内に入り込めてしまうことが証明されてしまったということです。

 「また突破されたのか!成田の警備はどうなっているのか」と頭にくる人もいるでしょうが、検問突破といっても、通常の空港では実施していない、成田独自の入場検問での出来事。ランプや滑走路に続く制限エリアに入られたら、それはそれは大問題ですが、空港敷地内に入られるだけなら、それほど支障はないように思います。そもそも、第2ゲートで絶対突破されないような検問を行ったら、空港道路は終日大渋滞になるでしょう。

 現実的な運用を考えたら、現行の検問が妥当なところですか。肝心なのは制限区域など「空港の心臓部」に不審者を絶対に入れないことです。

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2006年5月 9日 (火)

成田のレアエアライン⑩

Img_3741  今回はちょっと趣向を変えて国内線です。ANAグループ、エアーニッポン(ANK)のフォッカー50です。成田に定期就航する唯一のプロペラ機で、中部空港―成田を1日2往復しています。

 私は一回乗ったことがあるのですが、50人ほどしか乗れずバスのような感覚でした。ただ、離陸も着陸も非常に軽快で乗り心地はまあまあでした。

 成田の国内線は北から札幌、仙台、名古屋、小松、大阪、広島、福岡に飛んでいます。成田に住んでいると、実は日本中へ簡単に行けてしまう。単純計算すれば、家から札幌までドアトゥドアで3時間もかからない。下手に東京に住むよりも便利かも、と思っても運賃が羽田発と比べかなり割高なんですねぇ。

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2006年5月 8日 (月)

番外編

 5月7日の朝日新聞朝刊を読んでいたら、久々に胸が悪くなるような記事が出ていました。「萎縮の構図」という社会面の特集で、04年にイラクで拉致された今井紀明さんがブログや手紙で中傷を受けているという内容です。

 要約すると、今井さんがイラクで武装勢力に捕らわれた後、北海道の実家には「税金泥棒」「非国民」などと書かれた手紙が104通届いた。そのうち実名の手紙は3通のみ。今年1月、今井さんは議論の素材にしようと手紙の一部をブログに載せ、それが通信社に報道されると、中傷のコメントが押し寄せ制御不能になった。今井さんは中傷に対し「面と向かっていえる言葉でしょうか」とブログにコメントしたところ、「逆ギレはやめろ」「馬鹿の見本です」などのコメントが6千届いた。

 この記事で重要なことは「匿名の危険性」だと思います。自身が特定されなければ、ひどいことが平気で言えてしまう。2ちゃんねるなどの掲示板でもそんな誹謗中傷が散見されますが、私はそんな書き込みを読むたびに、その無責任さと卑怯さに吐き気をもよおします。

 今井さんを批判する人たちは何か思うことがあって手紙やコメントを送ったと思いますが、自分の意見に責任を持つために実名を記すべきです。匿名での批判は、もはや議論や意見とは言えず、ただの寝言か戯言です。

 ちなみに、このブログは便宜上私の実名で運営はしていませんが、個別にメールを頂ければいくらでも素性を明かします(相手も実名を名乗ることが前提ですが)。

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2006年5月 7日 (日)

成田ミステリーツアー③

Dsc_0024  空港の南側、横風滑走路建設予定地にある「横堀現地闘争本部」です。かつては反対同盟や支援活動家が拠点にした団結小屋です。現在は立ち入る者もおらず、窓ガラスは割れ、荒れ放題になっています。

 芝山町横堀地区にはかつて集落がありましたが、空港建設とともに次々と移転し現在は実質無人となっています。横堀地区には反対同盟熱田派の元代表、熱田一氏が最後まで住んでいましたが、3月に移転を決め、運動からも引退しました。

 この団結小屋の土地は「一坪共有地」として反対派20人ほどが所有権を持っています。熱田氏も所有していましたが、移転とともに手放しました。一坪共有地とは、空港用地の所有権を反対派が地主から譲り受け、所有権を細分化して買収工作を困難にする反対運動の手法。所有者200人を数える一坪共有地もあります。所有者は全国に散らばっており、中には既に死亡しているケースもあります。こういう場合、親族に所有権が引き継がれ、自分が所有者だとは気づかず「一坪共有地?何それ?」というケースも多いそうです。

 こうなってくると、一坪共有地運動の社会的意義は全くなくなり、ただの負の遺産、単なる嫌がらせ的存在です。かつて運動を主導した人たちは責任を持って適切に処置して欲しいです。自分だけ運動を退いて知らん顔は無責任です。

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2006年5月 5日 (金)

第5サテライト

Img_3743  南ウイングとともに6月2日からオープンする第5サテライトです。ANAがメインで使用します。

 サテライトとしては一番規模が大きく、天井もガラス張りになっているので広々と明るい雰囲気です。スポットの近くに飲食店や免税店があるので、搭乗時間ギリギリまでのんびり買い物やお茶を楽しむことが出来ます。成田空港にはこれまでなかった構造で、違う空港に来た感じがします。

 これだけの施設を独占して使えるANAとしては、アピールのしどころでしょう。5サテの上に作るラウンジも規模を大きくするそうです。

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2006年5月 4日 (木)

成田のレアエアライン⑨

Dsc_7418  ガルーダ・インドネシア航空のB747―400です。ガルーダと聞くと、あまりいいイメージを抱かない人も多いと思います。というのは…

ガルーダ機炎上事故 一九九六年六月十三日正午すぎ、福岡発デンパサール経由ジャカルタ行きのガルーダ航空865便のDC10機が、乗客・乗員二百七十五人を乗せ、福岡空港を離陸開始直後に、第三エンジンの故障で離陸を中断。同機は滑走路を越えて炎上、三人が死亡、百七十人が負傷した。(共同通信から引用)

 このオーバーラン事故のイメージが強いと思います。まあ、DC10という古い飛行機の話だから、と思っていると…

 三十一日午前十一時半ごろ、成田空港を出発しようとしたデンパサール行きガルーダ・インドネシア航空881便エアバスA330が、離陸滑走を始めたところエンジン出力が上がらず、離陸を中止した。
 滑走路にガルーダ機がいたため、着陸進入中だった大韓航空機が管制官の指示で上昇し、着陸をやり直した。
 ガルーダ航空などによると、左右一つずつあるエンジンのうち左エンジンの出力が上がらなかったため、機長の判断で離陸を中止した。(共同通信から引用)

 あまり目立つ記事ではなかったですが、今年の3月31日の話です。離陸を中断したという点では、96年の福岡の事故と同じ構図です。福岡の時は、トラブルが発生しても離陸を継続しなければいけない「離陸決定速度」を超えながら、機長が離陸を中断したことがオーバーランの原因のようですが、滑走をするまで不具合が分からないのは整備や点検システムに問題があるのでは?

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