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2006年7月31日 (月)

成田ミステリーツアー⑦

Img_3808  成田市東峰の「東峰トンネル」。ターミナルとB滑走路を結ぶ「B連絡誘導路」の真下を一般の市道が通っている。いや、道路の上に無理に誘導路を作ったというべきか。いずれにしろ、こんな角度から飛行機を眺められる場所は世界中でも稀なのではないか。

 B滑走路(暫定平行滑走路)は、未買収地である民家や畑を避ける形で作られた。滑走路用地にはまだ人が住んでいるし、畑作業などのための出入りもある。空港側としては、その人たちのための生活道路を当然確保しなければならない。邪魔だからといって、閉じ込める訳にも行かない。反対派にも生存権がある。

 公共のためである空港建設と、個人の生活権をぎりぎりのところで折衷した結果、こういう不思議な光景が生まれた。

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2006年7月25日 (火)

ムーミン号

_p8w4967  フィンランド航空が6月から成田、中部、関空に飛ばしている特別塗装機「ムーミン号」のMD―11です。機内にも原作者トーベ・ヤンソン作のキャラクターがあしらわれているそうです。

 フィンランドはムーミンの故郷。ヘルシンキ郊外には「ムーミン谷博物館」やテーマパーク「ムーミンワールド」があります。FINNAIRでは現在ムーミンキャンペーンを行っていて、ムーミン、ムーミンフローレン、スナフキン、リトルミイのぬいぐるみがもらえるそうです。ムーミン世代には魅力ですね。

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2006年7月24日 (月)

成田のレアエアライン⑮

Img_3801  尾翼の赤いドラゴンが鮮やかな香港ドラゴン航空のA330―300です。成田―香港をデイリーで結んでいるほか、貨物便では関空にも就航しています。

香港を拠点に中国国内線が充実している他、プノンペンやドバイにも飛ばしています。仙台と広島にも就航していたが、SARSの影響で運休。成田には04年から就航しています。

 今年6月にキャセイパシフィック航空に買収されました。

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2006年7月19日 (水)

JAL一色

Img_3816  ANAが第1ターミナルに移転してから、第2ターミナルはすっかりJAL一色になりました。この写真の範囲でも7機が駐機しています。

 ANAが使っていたカウンターは現在改装中で、6月以降、2ビル全体が何だかもの寂しい雰囲気です。

 しかし、2ビルもインラインスクリーニングを導入するための工事が始まり、大型免税店モールも現在建設中。工事が終われば現在1ビルを使っているアメリカン航空などが2ビルに移ってくる予定で、そのうち活気を取り戻すでしょう。

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2006年7月18日 (火)

異形の滑走路③

 開港と前後して、1978年5月に「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」(成田新法)が公布、施行された。運輸大臣が多数の「暴力主義的破壊活動者」の集合の用などに使用される恐れがあると認める時は、規制区域内にある団結小屋などに対し、使用禁止、封鎖、除去の三つの処分を命ずることができるとしている。同年3月の過激派による管制塔占拠事件を機に、議員立法で作られた。

 つまり、開港しても反対派のとの戦いは続いていたのである。国はこの法律により、反対派を支援するために全国から集まった活動家が拠点とする団結小屋を封じ込める手段を手に入れた。

 開港から8年が経った86年。国は強制収用と成田新法という切り札を懐に入れ、二期工事に着手する。空港東側に第二ターミナル、そして平行滑走路を作る計画だ。依然反対闘争は続いているが、開港前のようなパワーはさすがに見られなくなっていた。国は成田新法で過激派を押さえつけ、用地買収が困難な場合は3回目の強制収用を視野に入れていた。

 そんな折、国にとっては悪夢のような事件が起きる。88年9月21日、千葉県収用委員会委員長の小川彰弁護士が自宅近くの路上でヘルメット姿の男三人に鉄パイプでめった打ちされ、重傷を負った。後に中核派が犯行声明を出した。その後、日常的に過激派の嫌がらせを受けていたほかの委員も辞任し、収用委員会は機能停止状態になった。

 収用委員会がなければ、国は事業認定に基づく土地の収用採決を受けられない。国は強制的に土地を買収する手段を失い、打つ手がないまま時間だけが経過することになる。

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2006年7月13日 (木)

異形の滑走路②

 4000㍍滑走路、2500㍍平行滑走路、3200㍍横風用滑走路―。1966年に国から新東京国際空港公団(現成田国際空港会社)に示された基本計画だ。

 空港建設の閣議決定とともに地元で空港反対同盟が結成され、激しい抵抗運動が起こる。地主の固い反対の意志や、過激派による組織的な抵抗により用地買収は遅々として進まなかった。土地収用法に基づき、国家権力が私有財産である個人の所有地を合法的に取り上げる強制収用を二回にわたり実施し、1978年5月に開港を迎える。しかし、その姿はようやく4000㍍滑走路が一本できただけ。空港の東半分は工事に着手すら出来ない「片肺空港」だった。

 成田空港は、処理能力が限界に達した羽田空港を補う日本で始めての本格的な国際空港だった。日本の高度成長を支える屋台骨として多くの関係者が開港を待ち望んでいた。本来なら、日本国中で開港を祝ってもいいものだ。しかし、78年5月20日午前10時半からターミナルで行われた開港式典は、過激派による妨害を恐れ、運輸大臣や公団関係者のみでひっそりと、隠れるように行われた。

 この空港の不幸な生い立ちを象徴するようである。

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2006年7月11日 (火)

異形の滑走路①

Img_3646_1  成田国際空港会社の黒野匡彦社長は10日、成田の2本目滑走路である暫定平行滑走路を北側に延伸し、2500㍍化する手続きを国土交通省に行った。

 暫定滑走路。またはB´(ビーダッシュ)滑走路。その名のとおり、本来計画より短い2180㍍で「暫定的に」運用している。現状のままでは、主力のジャンボ機が離発着できず、小・中型機のみの運用。しかも、中国やグアムなど近距離線にしか使えない。本来計画の2500㍍に延長し、空港能力を伸ばすことは国、空港会社の悲願だった。

 航空法に基づいた「空港施設変更許可申請」を国交省に提出することは、その悲願に向けた第一歩である。本来なら、黒野社長は満面の笑みで記者会見に臨んでもよさそうなものだが、その表情にはどこか後ろめたさが垣間見え、言葉は自嘲を帯びている。

 それもそのはず。今回の申請は、暫定滑走路の「暫定」である所以、本来計画地に広がる未買収地をひとつも解決できないまま、さらに計画と逆の北側に延伸して滑走路を「完成」させようという計画だからだ。ここで手放しで喜んでいたら厚顔無恥と笑われるだろう。

 世界で例を見ない、成田のいびつな滑走路の軌跡を数回に分けてたどろうと思う。

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2006年7月10日 (月)

成田のレアエアライン⑭

Dsc_0030  キャセイパシフィック航空のB747―400です。成田―香港を一日5便ほど結んでいます。

 香港をハブとするキャセイは、アジア、欧米、アフリカなど85都市に就航しています。香港経由で中東や南アフリカなどに行く人も多いのではないかと思います。

 当然、中国国籍の航空会社ですが、もともと香港で欧米人が立ち上げた会社なので、他の中国のエアラインと比べあか抜けているイメージがあります。もっとも持ち株会社はイギリス系の香港財閥です。今年6月、香港第二のエアライン、香港ドラゴン航空を買収しました。

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2006年7月 9日 (日)

お犬様

Img_3751 昨年11月、第2ターミナル前のビルに国内最大級のペットホテルがオープンしました。写真はホテル前に設置された「ドッグラン」。ここで犬を遊ばせるようです。

 出発前まで愛犬、愛猫と一緒に過ごせるその立地が最大の売りだが、施設の豪華さも最高級という。全室空調完備、空気清浄機付き。一泊2万のスイートルームはカメラでモニターされ、海外から飼い主が映像をチェックすることも出来る。トリミング施設や動物病院も併設しているので、宿泊中に「ドッグ・ドッグ」?で愛犬の健康チェックをすることも可能とか。

 少子化でペットが子供に代わる家族となった昨今。いささかやりすぎの感はありますが需要はあるようです。

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2006年7月 4日 (火)

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Img_3732  成田空港の建設が閣議決定されて4日でちょうど40年が経ちました。

 新東京国際空港を三里塚に作った理由のひとつに、国有地、県有地が多いこと、そして戦後開拓した農地が多かったことが挙げられます。先祖代々から続く農家は土地を離れることに抵抗があるだろうが、戦後に入植した農家だったら土地への愛着も少なく、買収しやすいというのが当時の政府の魂胆でした。

 空港用地内の民有地には325戸の農家、民家がありました。その大半は、閣議決定後、空港公団に土地を売却して移転していきました。貧しい開拓農家が多い中、補償金をもらって喜んで出て行った人もいれば、昼夜を問わず開墾してやっと生活できるほどになった土地を泣く泣く手放した人もいるでしょう。

 政府の一方的な建設決定に納得がいかない農民は、空港反対派となって抵抗運動を展開しましたが、40年の間に、さまざまな理由で反対運動をやめ、移転していきました。NAA本社近くにある顕彰碑は、空港に土地を譲った人たちの名前が刻まれています。

 しかし、いまでも未買収地は3.6ヘクタールあり、二戸が空港用地内にいまだ住んでいます。かれらの名前が顕彰碑に刻まれるのはいつなのでしょうか。

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2006年7月 2日 (日)

ヘリで成田へ

 7月から東京新木場から成田空港を20分で結ぶヘリのチャーター便がスタートします。始めたのは埼玉のヘリ運航会社「雄飛航空」で一人片道3万円。同社はすでに4月から埼玉県川島町のヘリポートと成田を結ぶサービスを始めています。

 東京から成田までタクシーでいくらかかるか分かりませんが、これを高いとみるか、安いとみるか。飛行機の出発までに間にあわず「いくらかかっても早く行きたい」という場合は良いかもしれません。でも24時間前までに予約が必要なので、緊急の場合は使えない。やっぱりお金持ちのためのサービスですね。

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