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2006年7月18日 (火)

異形の滑走路③

 開港と前後して、1978年5月に「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」(成田新法)が公布、施行された。運輸大臣が多数の「暴力主義的破壊活動者」の集合の用などに使用される恐れがあると認める時は、規制区域内にある団結小屋などに対し、使用禁止、封鎖、除去の三つの処分を命ずることができるとしている。同年3月の過激派による管制塔占拠事件を機に、議員立法で作られた。

 つまり、開港しても反対派のとの戦いは続いていたのである。国はこの法律により、反対派を支援するために全国から集まった活動家が拠点とする団結小屋を封じ込める手段を手に入れた。

 開港から8年が経った86年。国は強制収用と成田新法という切り札を懐に入れ、二期工事に着手する。空港東側に第二ターミナル、そして平行滑走路を作る計画だ。依然反対闘争は続いているが、開港前のようなパワーはさすがに見られなくなっていた。国は成田新法で過激派を押さえつけ、用地買収が困難な場合は3回目の強制収用を視野に入れていた。

 そんな折、国にとっては悪夢のような事件が起きる。88年9月21日、千葉県収用委員会委員長の小川彰弁護士が自宅近くの路上でヘルメット姿の男三人に鉄パイプでめった打ちされ、重傷を負った。後に中核派が犯行声明を出した。その後、日常的に過激派の嫌がらせを受けていたほかの委員も辞任し、収用委員会は機能停止状態になった。

 収用委員会がなければ、国は事業認定に基づく土地の収用採決を受けられない。国は強制的に土地を買収する手段を失い、打つ手がないまま時間だけが経過することになる。

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