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2006年7月 4日 (火)

325

Img_3732  成田空港の建設が閣議決定されて4日でちょうど40年が経ちました。

 新東京国際空港を三里塚に作った理由のひとつに、国有地、県有地が多いこと、そして戦後開拓した農地が多かったことが挙げられます。先祖代々から続く農家は土地を離れることに抵抗があるだろうが、戦後に入植した農家だったら土地への愛着も少なく、買収しやすいというのが当時の政府の魂胆でした。

 空港用地内の民有地には325戸の農家、民家がありました。その大半は、閣議決定後、空港公団に土地を売却して移転していきました。貧しい開拓農家が多い中、補償金をもらって喜んで出て行った人もいれば、昼夜を問わず開墾してやっと生活できるほどになった土地を泣く泣く手放した人もいるでしょう。

 政府の一方的な建設決定に納得がいかない農民は、空港反対派となって抵抗運動を展開しましたが、40年の間に、さまざまな理由で反対運動をやめ、移転していきました。NAA本社近くにある顕彰碑は、空港に土地を譲った人たちの名前が刻まれています。

 しかし、いまでも未買収地は3.6ヘクタールあり、二戸が空港用地内にいまだ住んでいます。かれらの名前が顕彰碑に刻まれるのはいつなのでしょうか。

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